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2020年5月

2020年5月31日 (日)

まだ「始まり」までも来ていないのかも…

 日曜日の早朝も、都心に出ている人は少ないだろうと思い、昨日に引き続き散歩のため外出。日曜日の定番ルートである大通公園のほぼ端から端まで、やや暑いとすら感じるようになった陽の光を浴びながらてくてくと歩きました。

 朝8時前だったのですが、人出は多くなっていましたね。多くは二人連れぐらいでベンチに腰掛けて会話に興じる人々で、行き交う人の数はそこまで「増えた」と実感するほどではなかったかな。散歩するには支障はないので、今日はいつものルートで歩きました。ただ来週あたりからは…もう日曜日の朝は、散歩に適した時間帯とは言えなくなるのかな。

 

 気になったのは、ベンチに寝そべり、というかリアルに寝ているひとたちの姿。急激に増えました。本当にそこかしこにそういうひとがいる。見たところ、どうやらその場所で夜明かししたのではないかという感じでした。直接確認したわけではないのですが、これから激増すると言われている、住まいや居場所を失ったひとびとなのではないかと、心配になります。

 本州方面でも、都市部ではそのように夜通し外で過ごす方の姿が多く見られるようになったという話も聞いています。例えば東京ならそもそも人が多いから、そして札幌であれば経済基盤が脆弱だったひとびとが多いから、と、それぞれの場所のそれぞれの理由で、苦しい状況になる人の数は増えてくる。これから、街の姿はいったいどうなるのだろうと思うと、街をずっと在所にして生きてきた私の気持ちも、ざわつかずにはいられません。

 

 散歩の帰り、帰宅しようとすすきのの繁華街の縁まで来ると、大きめの雑居ビルの6階ぐらい、開け放たれた窓から大音声のカラオケの音楽と歌声、そしてひとびとが賑やかに盛り上がる歓声があふれ出て、静かな日曜日の朝の街に響き渡っておりました。そのビルに更に、10人ぐらいの群れを作って入っていく若い人々の姿も。もうこの期に及んで人のしていることがいいとか悪いとか言うつもりは全くありませんが…一晩中、やってたよね、彼ら。そして、このあとずっとその場所に閉じこもっていてくれるわけじゃなく、街に出ていくんだもんね、いずれ。帰るにしてもまたどこかに繰り出して行くにしても……。

 そんな風に周囲の様子を見ていると、まだまだ、長くかかるなと。

 

 まず、健康を害しないこと。健康を害する要素を、身の回りから全て排除すること。

 そして経済的には、もしかしたら、焦らず「粘る」ことなのかな。「いま」の状況にアジャストすることが、必ずしも「新たな日常」に対応することとは言えないのではないか。いまはまだ、色んなことの始まりよりも「相当」手前に我々はいるのではないか。少しずつ世の中の様子がリアルに見えてくるにつけ、そんな思いを徐々に強くしているところです。 

 

 ダービーデイではありますが、午後には門別競馬の今週の出馬が出たので、予想を開始せにゃならん。一方ネット上では、オンラインカーリングカップなるものが行われていて、手持ちのパソコンのうちの1台はYoutubeのライブ中継をかけ流し。テレビはJRAの競馬。掛け持ちしすぎ。こんな状況でも、やりたいこと見たいものが山ほどあって、やらねばならないことまであるというのは、本当に有り難いことです。

 日本ダービーまであと1時間半。その時間だけは、他のことは全て横に置いて、テレビの前で背筋を伸ばして、レースの行方を見守るつもりです。

2020年5月30日 (土)

花の季節感 競馬の季節感

 自宅中心の生活があまりに長くなりすぎて、たまに仕事に出かけたときに足腰の耐久力の低下を痛感。元々が「脚で稼ぐ」タイプの仕事の仕方をしてきたし、これからも出来ればそうしたいと思っているだけに、この衰えは文字通り「座視」出来ず(笑)。人の少ない時間帯を狙っての散歩ぐらいはきちんと行うことにしました。

 札幌では都心近くに自室があるため、人が少ないのは土日の早朝。今日は思い立って、てくてく歩いて中島公園に出かけてみました。期待通り公園までの道のりも、公園の中も、歩いていて気になるほどの人出はなく、小一時間かけてゆっくりとウォーキングを楽しみました。

 札幌の街の素晴らしいのは、都心近くに溢れんばかりの自然が味わえる場所があること。朝から明るい陽差しが降り注ぎ、木々の緑のまぶしさと色とを堪能。タンポポの綿毛が飛び交う公園内を歩けば、ラベンダーの淡いピンクと、その見たときには何の花だかわからなかった鮮やかな赤い花の姿に、どうしようもなくわくわくさせられました。恐らく例年咲いている、この季節のいつもの光景なんでしょうけれども…なぜだろう、色合いも、その場の空気も、味わったことがないほど新鮮なものに感じられました。

 その何だかわからなかった花の写真をツイッターに上げて、フォロワーの皆さんに「これなに?」って素直に聞いてみました。幼少の時から動植物の名前は全く覚えることが出来ないので。そうしたら、すぐにフォロワーの皆さんが答えを下さりびっくり。大してフォロワーがいるアカウントではないのですけれども、何だか有り難くて面白くて。

 ちなみに、その花は「エゾヤマツツジ」でした。本州で「ツツジ」って言ってイメージするよりも木が高く伸びていて、花の付き方も大きさも豪勢。花の色の赤も、ツツジしては私がこれまでに見たことのないような、見事に鮮やかな赤色でした。

 っていうか、普通はパッと見たらわかるのかな?
 これって、ツツジだって(汗)。

 

 明日はいよいよ、日本ダービー。地方競馬の方はともかく、取材にも出かけられないJRAの方は最近、競馬新聞すらなかなか手にしないようになっていますが…さすがに明日の新聞はすでに今日のうちに、コンビニに並ぶ時刻を見計らって出動し購入。せっかくのお祭りの一日は、1レースからコツコツとレースにも参加しながら過ごそうかと思っています。

 競馬が無観客で行われるようになってからは、人気馬がしっかりと結果を出すようになっていると言われています。私も、勝つのは注目を集める2頭のどちらかかと思いますが…それとは別に「願い」をかけるなら、多少なりとも直接見てきた馬にしたい。あるところから取材に行けなくなってしまいましたから、応援する候補もあまり数は多くないのですが…昨夏の函館・札幌で直接目にして期待していたダーリントンホールがやはり気になるので、この馬の馬券を買って応援しようと思っています。

 競馬とか、やってる場合か!?という声も聞こえてきそうですが…まあさすがに、ダービーデイぐらいはね、「気が緩む」ことも許して頂かないと、1年間何をして生きてきたんだという話になりますから。自宅に「正しく」こもって観戦します。

 ダービーデイ、みんなそれぞれの場所で、心ひとつに楽しみましょう!

2020年5月29日 (金)

それぞれの場所の「新たな日常」はどこに…

 昨日は、週に1回の門別競馬場での取材。日高への道すがら、いつものように札幌市を出てすぐの所にある輪厚(わっつ)のパーキングエリアで一服。

 緊急事態宣言が解除されたこともあってか、この場所に止まっている車の数も随分増えて来ました。いま、いいことかどうかはわからないのですが、色んな物事が動き始めているということが、この場所の景色からも感じられます。

 ただね…バスがいない。一台も。観光客がゼロ。車がいくら止まっていても、バスと観光客がいないために、この場所が迎えつつある「新たな日常」もまた、かつてとは相当異なるものになっていると言うこともまた、実感させられました。

 どう考えても…バスがこの場所に戻ってくるのには、まだ相当時間がかかりますよね。そもそも戻るかどうかわからない「かつての風景」を待つのか。それとも、この場所もまたこれから「新たな日常」に翻弄されつつ姿を変えていくのか。この場所を訪れるたびに、そんな変化を目の当たりにすることになるのでしょう。

 応援と思い、本当に少しですがコーヒーフロートを買って頂きました。美味しいんだよ…これが。アイスコーヒーの上に乗っているソフトクリームが、北海道の美味しいやつですから。こういうものがなくなってしまうかも知れない、と思う物に触れると、事ごとにやるせない気持ちにさせられます。

 誰のせいでもなく、コロナのせいなので。
 頑張るしかない…よね。

 

 少し感染確認者数が増えてきて嫌な感じも漂う東京では、6月1日からステップ2。ところが、驚く勿れ…北海道は地方に波及し始めた可能性もあるこの状況で、全業種で営業自粛要請を解除。イベントも解禁。まじですか??

 またぞろ、東京でやるまえに北海道で実験か?との声も聞こえてきそうな、踏み込んだ対応。やってみて「やっぱり、バーやクラブやカラオケはダメだったよね」じゃ、済まないわけですけれども…。実際いますすきのでは、恐らく多くの店で席の間引きなんかやってないよ。お客の側以前に、店員さんがマスクしてないよ。

 緊急事態宣言が解除された日の稿で、「当局が責任を取らないフェーズ」って書いたのは、ちょっと書きすぎかと思っていたのですが、どうやら本当にそういうことのようで。「あとは市民が、それぞれで気をつけなさい。」と。これで、特に札幌を中心とする北海道に住む人々に、また人間としてはとてもつらい新たな試練が課されたことになったような気がします。

 もうこうなると、周囲のことがどうとか言っていられない。とにかく、巻き込まれて自分が感染しないこと。そしてその中で、経済的に生きていく術を探すこと。状況的には、北海道ではそれはもしかしたら大変難しいことになってきたのではないかと感じます。危なくて身動き取れないのでは、その経済的に生きていく方法を探しようがありませんから。

 無理となったら…せっかく粘ってきたのに、北海道を離れなければならなくなるのかな……。色んなことが、まだまだ変化し、それについて行くことを余儀なくされるのでしょうね。

2020年5月27日 (水)

久しぶりに外に出て、世の中の悲壮な風に触れて

 緊急事態宣言が解除されたから早速、というわけでもありませんが…昨日はすすきののはずれにある自室からてくてく歩いて30分。札幌駅近くまで出かけてみました。銀行に行く必要があったりとか、これからの仕事のために、この間全く足を運ぶことが出来なかった場所へ出かけてご挨拶とか情報収集とか。組織で仕事をしているわけでもなく、また友達も少ないとあって(笑)、自室に籠もって生活しているあいだに、すっかり浦島太郎になっていたらどうしようと心配しましたが、実際にはそこまでのことはなく、幾人かの方々に行き会って話を伺い、思いを巡らせることもあれこれ。

 今日のところわかったことは、いまのところはちょっと難しそうだな、ということぐらいかな。残念ながら。ヒントは山ほど手に入れることが出来たけれども、実現段階までの距離と障壁がありすぎて、ちょっと手のつけようが見当たらない感じでした。まだまだこれから、ですね。

 

 札幌駅近辺は、緊急事態宣言が解除されたと言っても、閉まっていた店が次々と開くでもなく、またひとがわらわらと出てくるでもなく、至って平穏。まだまだ多くの人たちが警戒しているということが見て取れました。丁度昼休みの時刻でしたけれども、出歩く会社員風の方々の姿もわずか。一部、飲食店が店を開けていて、店先に机を出したりしてテイクアウトに力を入れていました。それでもね…人出がないですから、苦しそう。まるですすきの交差点の居酒屋の客引きのように、店の近くの交差点まで出て、ランチやテイクアウトのメニューを書いた大きな看板を抱えてお客さんを呼んでいる飲食店のスタッフの方の姿も見かけました。みんな必死で頑張っているんだなと、思わず背筋がピンと伸びました。

 その、ある意味「悲壮感」ある街の姿に、私の中の危機感も強くまた重たいものになりました。なんとかしないと、ですね。やりたいことはあるし、やったら必ずいいことが起きると確信出来ることもある。それを、いまみんなが身動き取れない、動きたくない中でどうやって動かしていくか。そういう方向では私はとても非力なのだけれども…そうも言ってられないですしね。

 とにかくひとつ、早く突破口を見つけたいものです。

2020年5月25日 (月)

新たな日常がもたらす「選別」と「分断」

 立てた目標の数値に達していないにもかかわらず、緊急事態宣言が本当に解除されたことに強い違和感を覚えつつ…これで色んなことが動き出し、色んな向きが喜んではしゃいでしまうしばらくの期間が、宣言期間中よりもある意味「危険」な期間なのだろうなと、私は改めて身構えています。

 夕方行われたリーダーの演説がわかりづらすぎて、私たち受け止める国民の側の受け取り方は、恐らく様々だったのではないでしょうか。なので恐らく、これからの国民の行動も様々になるはず。みんなそれぞれの評価で動くようになるから、それで事態が(幸運にも)収束すれば「みんなハッピー」となるのですが、もしも悪い方に傾いた場合には、今度は人々の気持ちの方がもう収拾がつかなくなるリスクが、一層大きくなったと思います。

 

 要するにここからは、もう「当局が責任を取らないフェーズ」に入ったと。私はそう理解しています。もう当局はあれするなこれするなととやかく言うのを徐々にやめるから、あとはみんなしっかりそれぞれで「取り組み」なさいと。

 

 これからは、2つのことでひとや物事が「選別」されていくと思うんです。まずは、コロナに感染しないこと。状況的にそれを気をつけようがない人たちはいて、本当に気の毒なことなのだけれど、気をつけられる人は自分の責任で感染を回避しなければいけない。いまやかましく「個々に三密回避のための取り組みを」などと言われていますが、要はそういうことですよね。

 もうひとつは、社会からの選別。危ない人には近寄らない。危ない店や施設は利用しない。そういうことはこれから進んでくるでしょう。なぜなら、当局がこの業種がいいとか悪いとかを徐々に言わなくなるわけですから。本当は、業種が悪いのではなくて、感染しやすい状況になるかならないかが問題だったはずですが、そんなことは管理出来ないので、これまでは便宜的に業種でバサッと決めていただけ。これからは、営業OKになっても、行っていい場所と行っちゃいけない場所は個々で判断するようになるはずです。

 

 例えば、私は今夜、超久々にひとりで外食しました。席数減らして大変だろうなぁとは思いましたが、もうしばらくはその店には行かないと思います。なぜなら、お店のスタッフの人がマスクをしていなかったから。それはいくら美味しいものを安く出してくれるお店であっても、「コロナの時代の新たな日常」の中でお店のスタッフが客に対して当然するべき「気遣い」がなさすぎる。私はそう解釈します。私、感染したくないですし、感染して人に更に拡大させたくないので。飲食店に限らず、外から不特定多数の客を受け入れる施設は全て同じだと私は思っています。

 お店のスタッフだけでなく、客側に感染予防対策を求める店かどうか、ということも、重要になってくるでしょう。客にマスク着用や、入店前アルコール消毒を求めるという行為もまた、言われるからやるのではなく、全ては迎える客に対しての「気遣い」。それは更に進むと、店や施設を訪れようとする客側の感染予防のための行動にも、影響を与えることになるでしょう。色んな店に行くには、マスクをしなければ入れてもらえない。だから(渋々でも)マスクする、みたいな話ですね。

 勿論、お店の人がマスクをしていなくても気にしないという人は、その店を使えばいい。または、例えば「マスクお断りの店には行かない」と決めてマスクをしない生活をするのも、また自由。どうやって感染のリスクを回避するか、そしてそれだけではなく、店や施設の感染回避のための考え方や行動をどう評価するかということは、これからは一人ひとりが考え判断して、そしてその結果を行動に表すことになるんだと思います。

 そんな感じで、程なく、その「コロナの時代の気遣い」が出来るか出来ないかによって、店や施設だけではなく、個人も「選別」されるようになるような気がします。どちらが正しいという問題ではなく、気遣いがあるかないかによって、社会は分断される。そんな気がしてなりません。

 

 いま「緊急事態宣言解除」によってその現実を突きつけられてみて、自分自身がおそらく一般的な人々よりも大幅に少ない外出頻度で過ごしてきた心中の理が、少し見えたような気がしました。それは、「コロナが怖い」という、命を守ろうという気持ちは、実はせいぜい半分。あとの半分は、「選別されたくない」という、社会の中での存在を守ろうという気持ち。

 

 これからは、問題の中心は経済と同時に、社会的な部分へと映ってくるはずです。その中では、差別のようなことがもっと発生するかも知れません。他にも例えばアメリカでは、入店に際してマスクの着用を求めた店員に対し、客が目の前で大きく咳払いをして飛沫をかけるという「暴行」事件も発生していると報じられていました。

 いま世の中の様子を見ていると、コロナウイルスの本当の怖さ、すなわちひとびとが集い暮らす社会に与えようとしている影響に、大多数の人々が必ずしも「観念」していない。なので、そのアメリカの例のようなコンフリクトも、これから日本でもきっと発生するでしょう。感染が確認された人への差別的な取り扱いは、今までにもまして一層助長されるようになるかも知れません。

 そうなったとき、私たちは社会の中でともに暮らす新たな「ありよう」を探り出すことが出来るのかどうか。その試練は、これから訪れるはずです。

 

 そんな試練を社会が迎えたときに、私自身が平静を保ちながら、周囲とともに暮らしていくことが出来るのかどうか。そのための自分なりの「術」と「心の持ちよう」を早く見出したいと、私はいま心から思っているところです。

2020年5月24日 (日)

季節の移ろいに 自らを促していき

 日曜日の早朝なら人もあまりいないだろうと思い立ち、自室の近所を散歩してみました。天気も良く、外に出てみると陽の光の当たらない自室よりも随分明るかったので、てくてくと歩いて大通公園へ。案の定、ランニングや散歩をしている人たちと本当に微かに行き会う程度で、久しぶりに安心して外を歩くことが出来ました。

 大通公園では、植えられたチューリップがそこかしこで鮮やかな色とりどりの花を咲かせており、目を楽しませてくれました。目を転じると、もう大分咲いてきたライラックの花もそこかしこで木々の間に揺れて存在をアピール。自室に籠もる生活も、そこまで長いという印象もないのですが、それでも季節は随分進んだのだなと実感しました。思えば、3月にはもう外には殆ど出なくなり、そこから数えたら2ヶ月、ですものね。大通公園は、本当ならライラック祭りのシーズンですよ…。

 

 一方、スポーツは殆ど動きが止まって、本当に動いているのは競馬ぐらい。本当であれば、スポーツシーンも季節を感じるのにとても重要な生活の中の要素だと思うのですが…それを感じられないのは、やはり物足りなさを感じますね。

 競馬は今日オークスが行われて、来週は日本ダービー。1年で2回の大きな盛り上がりの一方が近づいてきています。私は正直に言うと…これまで長らく仕事として携わってきていたものが、いまとうとう全くなくなってしまっているので、これまでの人生の中では最も「縁遠い」感じのダービーウィークを迎えようとしています。レースは見ていますし、馬券も僅かながら買っていますが、距離感は如何ともし難いものがあるかな。多くの競馬ファンの皆さまにとっては、そもそも競馬場に出かける機会がある人の方が全体からしたら少なかったはずですので、競馬が行われてさえいれば、それほど変わらぬ「競馬ライフ」を送っておられるのでしょうか…?どうなんだろう。

 そうは言っても、日本ダービーは年に一度の祭りですから。「その先にある新たな季節」にきちんと自分自身を促していくためにも、背筋を伸ばして一週間、情報収集も力を入れてやって、その当日を迎えられればと思っています。

 

 あとは…引き続き「一日一善」。今日も、頂戴した「一善」の機会の有り難さを噛みしめながら、パソコンに向かっておりました。

2020年5月23日 (土)

「新たな日常」は実現可能なのか!?

 例えば、飲食店を経営運営している知人の幾人かに聞いてみました。ソーシャルディスタンシングで、席数をざっくり半分にせざるを得ない場合、店を続けていけるかどうかと。残念ながら「何とかなる」という答えは、一つも聞かれませんでした。聞いた母数が大変僅かなので、それが世の中の状況全てを表しているとは断言出来ませんが…でもザッと考えたらわかりますよね、それは。

 私は専門家でも飲食店事業者でもないので詳しくはわかりませんが、巷で言われている家賃という要素は、かなり重要ですよね。その「場所」でいくら稼げるかによって上がったり下がったりするはずなのに、いま稼げる額だけガクンと落ち込もうとしているのですから。家賃の付け替えみたいな動きがどのぐらい進むのか。人口集積地の地価とか賃料は、いま言われている「新たな日常」を本当に相当程度実現しなければならない場合には、相当影響を受けるのでしょう。ただそれも、いまその場所で事業を行っている人たちを救うのには間に合わないわけですが。

 

 当局はこれから、公衆衛生上の観点から「コロナの世界の新たな日常では、こういう工夫をしろ」と言うでしょう。しかしその「理想」が経済的には成り立たない話である場合、いったいどういうことが起きるのか。なんだかまだよくイメージ出来ずにいる人々が大半なのではないでしょうか。

 実際、今日のテレビのニュース映像を見ていても、ソーシャルディスタンスが保たれていない風景が、そこかしこで見られました。テレビは、むしろいまこの「出口戦略」が取り沙汰される状況なら、見た目相当に「まずい」映像は切り捨てて放送するでしょうから、実情は報道で目にしたものよりも公衆衛生上の観点からは芳しくないものである可能性が高いと、私は思っています。すすきので、開けている店の状況は昨日も書いたとおりで、店によってはカウンターにずらりテーブル席にみっしり、という状況。やはり当局が「活動を再開する」ということに舵を切っていることが伝わってしまうとこうなるんだなということが、この週末の今日明日でまず実現してしまうのでしょう。

 

 これでね、再度感染の波が押し寄せることがないなら…それはそれでいいと思うんですよ。ひとまず「コロナ後の日常」はそれほど以前と変わらない、という話になるかも知れませんから。なぜ「三密」が全て避けられていない状況でも感染が拡大しないのかと言うことの科学的検証は、あれだけ「三密」って言ってきた以上絶対に必要ですが、「これで大丈夫なら、あの自粛は何だったんだ!?」という声が上がったとしても、それはまあ、やってみないとわからないこともあるし、検証の結果やはり一度自粛して人がいなくなることがとても重要、という話なのかも知れませんから。

 問題は、これで感染が再拡大した場合ですよね。科学者の皆さん方はきちんと分析されているのかも知れませんが、今の状況で市中で感染者が増えれば…たぶん殆どの人が感染経路の把握に協力しないですよね。「どこどこ行きました」って言った途端に、その場所は営業出来なくなってしまう。いままた営業出来なくなれば、もうもたない、という事業者も、相当程度出るのではないでしょうか。

 

 いま、公衆衛生の観点からは一時の収束をしたように見える状況でも、経済的にはこれから。やはり一度一通り「焦土」になってからの話、となるのかどうか。まだ私たちは危うい橋の上にいるように思えます。すすきのの街を見ているとね…この店がどれだけ残れるのか、って、いやでも感じますから。

 まだまだ、道のりは長くて険しいのでしょう。

2020年5月22日 (金)

「リオープン」で「リスタート」では、まずくないですか?

 緊急事態宣言の解除とか、出口戦略とかいうキーワードがテレビやネット上のニュースでどんどんと増えてくる中ではありますが…あいかわらず、週1回の門別競馬場の取材以外は、殆ど自室で過ごしております。買い物も、だんだん要領が掴めてきたので毎日は出かけず、2日とか3日に1回。慣れてきた、ということもあるのでしょうが、そもそもが「引きこもり」適性がある人だったのかなと、改めて自己評価しております(苦笑)。

 巷では、「外に出たくて仕方がない」という向きも多いようですが…私の場合そもそも自室も1階かつ建物に囲まれていて、窓から外の様子や陽の光も殆ど目にすることが出来ないので、そのきっかけもとても少ない。東京の自室は3階で、晴れれば陽の光が燦々という部屋なので、もしかしたらそちらにいたら外に出かけたくなったかも知れません。遠出はしないにせよ、言い訳作って近所を歩き回る、とかですね。これで子どもでもいれば、子どもに外出を我慢させるのは難しいでしょうから、自室での生活を続けることにも難渋したかも知れません。

 

 今週あたりから、巷の人出が激増していると報じられています。まあ、発表されている数字は減っていますし、当局も少しずつ「筋道」を示し始めているので、みんなしびれを切らして動き始めているようです。正直、見ていて「こんなんで大丈夫?」という感想しかないのですが…その結果が、また6月に良くない方向で示されることのないよう祈ります。

 実際、夕方に買い物に出かけたときにすすきの界隈を通ってみると、飲食店に会社帰りと思しき人々の姿が多く見られるようになりました。かつてのように、カウンターには間を開けずにずらりと客が並んでいたり、4人とか6人掛けのテーブルを埋め尽くしていたり。通りすがりに、ガラス越しに店の中の様子を見ているだけでも「うっ」ってなる感じ。いま、店の方が自粛の主体になっていて、何かあれば責められる雰囲気が充満しているんですけれども…さすがに、そんな形で店に集まってしまう客の方にもきちんと訴求しないと、また大変なことになるんじゃないかと、心配しています。

 

 マスクをすることと、人と人との距離を取ること。

 いま、テレビで各国のニュースを見ても、このふたつのことを軽んじている国はありません。マスクは、多くの活動開始した国々で「義務」になっているそうですし、人と人との距離が不十分なケースでは、警官が飛んできて注意する国も少なくないようです。

 

 日本では…例えば今日の、国とか都道府県のリーダーの記者会見を見ても、言わないですよね、どっちも。そして巷で全く守られていない。特にマスクは、してない人が多すぎる。それで今度は開き始めた店に入って、密集して滞在、では…私は見ていて恐怖しか感じませんけどね。感染するんじゃね?っていう恐怖と、また色んなこと出来なくなるんじゃね?の、両方。世の中の人々は、それほどには感じないのかな?

 店を開けるのはやればいいと思うし、個人的にも勿論開けてもらいたいとも思います。でも、そのために「必要なこと」を徹底させることなく、なし崩し的に「コロナ前に戻る」ようなことがあれば、様々な困難も、また一からやり直しになるかも知れない。そんな困難に耐えられるのかどうかということは、リーダーとかお店の経営者だけでなく、市民一人ひとりが胸に手を当てて考える必要があるんだと思っています。

2020年5月20日 (水)

お金って、生きていくための「ヒント」

 給付金申請のための必要性もあり、いつもはある程度まとめて整理している私の仕事の管理をしている会社の経理関係の資料を、暇に任せて前倒しで整理しております。私の会社は8月決算9月始まり。今日までに、期初の9月から既に終わった4月までの資料の打ち込みと整理が終わり、今ものすごく大きな達成感に浸っております(笑)。これで、例年ひいこら言いながらやっている秋の決算の作業は、あっという間に終わりそう。

 いつも思うのですが、お金を頂戴した記録だけでなく、使った記録もまた、その時間を「生きてきた」ことの証明みたいなもの。領収書の整理をして、弥生会計にデータを打ち込みながら、文字通り「コロナ前」に様々なことをさせて頂いてきた時期の記録に触れると…まあさすがに、懐かしさが湧きますよね。ああ、色々やってたし、あちらこちら行かせてもらってたなと。色んな人々に手伝って頂きながら、色んな方面を手伝ってきて、色んな場所のお客さま方と、行き会ってきたなと。決算の作業の時にはいつも通ってきた、最近してきたことの一つひとつを改めて振り返る機会が、今こうして少し早めに、そしていつもとは全く異なる状況の中でやってきていることには、特別な感慨があります。

 

 お金って、生きてきた時間をすごくわかりやすく表現してくれる。

 そしてお金って、これから生きていく時間のことを考えるにも、凄くわかりやすいヒントを与えてくれる。

 

 たまたまいま、給付金の関係があるからみんながみんなそういう作業に取り組んでいるのではないかと思います。その中で、自分がどうあるべきかということを「考え直す」人は、必ず一定程度生じてくるはず。そうした「考え方の整理」を促すようなこともまた、これからは求められてくるのではないかと思っています。なにしろ、これから迎えるのは「新たな日常」なので。この言葉凄く深いですよ。「日常」なのに、今までとは違うっていう意味なんですから。

 

 午前中のうちに「一日一善」の仕事を終えて、そんなことを考えながらまったりしていたところ、午後になって仕事の関係での電話が一本。仕事のことであれこれ思いを巡らせながら人と話すのは、久しぶりでした。先方は大きな会社にお勤め(テレワーク)の方でしたが、有り難いことに話にずっとつきあって下さり、1時間の長電話は有り難い限り。あ、ズームかスカイプつなぎ直せば良かったか…(苦笑)。夜にも、小さな仕事の依頼が1件あって、最近になく「千客万来」の一日になりました。

2020年5月19日 (火)

夏は、来るのか!?

 それにしても…札幌は5月だというのにまだまだ寒くて、朝晩の気温は10度を簡単に下回ってしまいます。北海道のこの季節の冷え込みを表す言葉に「リラ冷え」という言葉がありますが、いくら北海道でもこの季節に連日10度を下回るような気温は、昨今の気象の様子と比べると、もう「異常」と言えるのではないでしょうか。この冬は、寒さが例年に比べると本当に緩く、この分だと夏は暑くなるのではないかといわれていました。しかし今時期にこの寒さが続くようでは…もしかして、暖冬に続いてやってくるのは、冷夏??

 本当ならば、朝は早く起きて、人出がない時間帯に外を歩いて体を動かしたいのです。しかし、せっかく早い時刻に目が覚めても、部屋が寒くて布団から出られず、結局そのまま部屋を出ることなく過ごす一日。私の部屋が、アパートの1階で陽の光も当たらず、そもそも寒い部屋だということを差し引いても、ちょっと朝早い時刻に外に出るのには尻込みしてしまいます。何より、気温の数字が一ケタだ、っていうのがね…もう気持ち的にそれだけで萎える(苦笑)。今の状況で、無理して出歩かなくてもいいかなっていう、一つの言い訳になってしまっています。

 今日は、昼前になって「もう大丈夫かな」と思い、4日ぶりの買い物に出かけました。歩いて10分ぐらいの所にあるツルハドラッグ。メモに、食料品中心に買っておきたいものをあれこれと書いて、それを見ながら店内をうろうろ。主婦か(笑)。訪れた時間帯が良かったみたいで店内はとてもすいていたので、落ち着いて買い漏らすことなく買い物を済ますことが出来ました。

 それにしても、日中に働きに行っていないような層が特別なのかも知れませんが…ほんとにマスクしてないね、街中。ひいき目に見て半分ぐらいですよ、私の近所では。一足先に活動が再開されつつある国や地域のニュースを見ても、「マスクをしなくていい」っていう場所は皆無。日本はいま緊急事態宣言が解除されつつあって、同じように活動を再開しようとしているわけですが、まさかこのまま、マスクの着用を徹底することなく突き進むつもりじゃないでしょうね?

 私は、当面リスクのない場所にいたいので、いま自分がいる場所でマスクの着用が「新しい習慣」にならないとわかったら、直ちに居場所を変えるつもりです。そんなことも出来ない場所では、恐ろしくて住めないので。

2020年5月18日 (月)

いまは「一日一善」のこころもちで

 生き残るために何か考えないと、とか、先に繋がる前向きなことを、とか、困難を克服すべき何かに取り組んでいくことが求められているというのは、わかっているんです。そういうふうに今から(外を出歩くことなく)動いていける人が、恐らく本当にこの状況に対応した「成功者」になれるのでしょう。

 でもね…そういうこと思い始めると、勿論すぐには「答え」も見当たらないし、きっかけも探りあぐねる状況では、もう気持ちが苦しくなる一方でして……。その辺の気持ちの持ちようというのは、今だけのことではなくこのあとしばらくはしっかりコントロールというか、マネジメントというか、自分自身で掌握していかなければいけないのでしょう。そのぐらい、とりわけ自身の生業という面では、身のまわりの状況が変わりすぎていますので。

 

 で、いま自らに課している課題は、とても簡単なもの。
 すなわち、「一日一善」
 言い古された言葉ではありますが、いい具合の「逃げ道」を自分に作ってあげるには丁度いい案配をしてくれています。

 

 「善」の部分の意味は、本来の意味のような立派なことまではいまは取り組めないので、それも無理せず「とにかく、仕事としてやれること何か」ぐらいの、とてもゆるい感じで捉えるようにしています。

 例えば、いま微かに頂戴している仕事があれば、それを1件きちんとお勤めすれば、それで一応「ノルマクリア」。あと、直接そのこと自体がお金にならなくても、手元の必要な事務作業とか、若干のプロモーション活動とか、これからの仕事のための準備とか、とにかく1件。その1件それだけでは、その日一日必要な金銭的価値を獲得出来ないこともしばしばですが、それでもとにかく、1件。その1件がきちんと出来たら、「たいへんよく出来ました!」。

 1日にその1件、と思うと、気持ち的には結構楽です。今日いまやるべきこと、だけではなく、「明日は、これをやれば1件」「明後日はあれがある…」みたいな感じで、先々の予定もその「1件」で埋めていけますから。その一日が埋まる「1件」を頂けていることも、今まで以上に有り難く感じられますね。さらに、1日に1件なので、それにかけるエネルギーの量と質も自然とこれまで以上に高いものになってくるから、その中から「気づき」とか「思いつき」ぐらいの発想は、湧いて来やすくなっているようにも感じられます。

 頑張って、今やらなくてもよい事務作業を前倒しにしてでもその「1件」を作っていって、それでもその「1件」がない日が週に2日発生するところまでは、いまは自分の中で許容します。ふつうに週休2日だから(笑)。これが3日4日空白になってきたら、それは大きく路線転換しなきゃいけないという目安かな。逆に、このペースなら「休みの日」はいらないです。一日ストレスなく過ごして健康を損なうこともなさそうですし、もしそうなるなら、それはそれで有り難いことですから。

 

 生来の貧乏性なので、この「一日一善」でどのあたりまで我慢していけるかは、自分でもわかりません(苦笑)。年齢が年齢だけに、一度ペースダウンしてしまうと、もう社会の中の役割としても元に戻っていけないのではないかという、恐怖感もあります。そういう様々な気持ちの間を行ったり来たりしながら、きちんと時間を使ってさえ行ければ、遠からず前に歩いて行ける「道」が見つかるはず。それを楽しみに、日々暮らしております。

 

 考えようによっては、いいきっかけかな。

 ちょっと最近、2,3年に一度きっかけが来ていて、これはさすがに多すぎて少々疲れていた嫌いもありました。決して「休む」とは思わず、でも久しぶりにのんびりやっていければと思っています。

2020年5月17日 (日)

まだ「新たな日常」には入れず…

 幸い、昨年からさせていただいている北海道・門別競馬場のレースの予想原稿の仕事を、今年このような状況の中でも頂戴しております。週に2日ないし3日間のレースの予想の仕事は1日分でも結構ボリュームがあり、それなりの時間しっかりと没頭出来ることも、仕事としてフィーを頂戴出来ることと同じぐらいいまは有り難いことと感じています。

 今日はまさに、3日先のレースの出走馬が発表される日。午前中のうちに、仕事なり読書などのお楽しみなり、しておきたいことはしっかり過ごして、お昼を待ちます。正午を少し過ぎたぐらいに、発表された出走馬をサイトでも見られるようになり、そこから予想開始。今日も全12個レース、夕方までみっちりと予想して入稿まで済ませました。

 勿論、そんな都合のいい仕事だけで食べていけるほど甘いものではないのですが…イベントの仕事だけだったら、やれることがゼロになってた、と思えば、これもひとつの「縁」のおかげさま。そんな「縁」がもたらすいくつかのことをこなしながら、日々暮らしております。

 

 ずっと狭い自室にいるので、おなかもそんなにすかずに…と思いきや、時間になると鳴るんだね、おなかって(笑)。これと言ってエネルギー消費をしているようにも思えないのですが、昼と夜は腹時計に誘われるままに台所に立ち、米をとぎ、なにがしかのおかずを用意して、食事をしております。自分一人しか食べないもので、何か料理で工夫して、というところまでのモチベーションはさすがに湧き上がることなく、ドラッグストアで買ってくる何種類かの食材の組み合わせで、ほんの少しずつ違うものをある程度の周期で順番に頂くぐらいのもの。ただ、ご飯がいつも炊きたてなのはいいかな。ビジネスホテルにあるような小さい冷蔵庫しかなく、まとめて炊いて冷凍しておいて、ということも出来ないからなのですが、そう「忙しくもない」状況の中では、ちょっとご飯を炊く準備するぐらいの時間を惜しむ必要もありませんから。ちなみに、この生活に入って最初に買った北海道産米「ななつぼし」はすでになくなり、いまは別の北海道産米「おぼろづき」を頂いております。

 いまは、一週間のうち3日ぐらいは休みみたいな生活。そんなの、自分の人生の中では、およそ20年前に会社辞めたあとテレビに出はじめるまでに半年間あっただけ。「どうしたらいいか」を考えずにサボっているというわけでもないので、結果的にそのぐらいの稼働率でいる状況というのも、しばらくはいいかなと思っています。ここしばらくしていた仕事の延長線上にかすりもしない方向で動くかどうかは、今月いっぱい過ぎてから、かな。

 

 世の中、緊急事態宣言が解除されたとかで、随分色んなことがまた再開したり始まったりしているみたいですね。テレビのニュースでも、様々な風景が報じられていて、それを見ていると確かにうらやましいと思えるところもあります。自分の身のまわりでは、自室にずっといることもあってそんな雰囲気を感じることは一切出来ないのですが…

 まあ、焦らずにもう少し様子を見ることにしましょうか。

2020年5月16日 (土)

仕事以外では…気疲れしすぎて無理(苦笑)

 昨日は、自家用車で門別競馬場に赴き、久しぶりに競馬場現地での取材に臨みました。実は先週出かけるつもりで準備をしていたところ、直前になって北海道知事から「ロックダウン相当の外出自粛」の呼びかけがあって断念。当局が出す情報に留意しながら機会を窺い、一週遅れで昨日ようやく出かけました。ルールに従って慎重に行動しつつ、情報を仕入れたり写真を撮ったりと、久しぶりに一日活動しました。

 

 まず感じたことは…非常に気疲れしたということ。競馬場現地だけではなく、自家用車での移動の道中も極力相互の感染リスクを高めることなく行動しなければならないということ。私の中では、とにかく半径1m以内に行き会う人の人数を数えながら、それが増えないようにとだけ考えて、その数だけを気にしていました。

 競馬場では、入口での体温チェックや、マスクの着用をはじめとする滞在している間のルールがあるので、それを守りながら時を過ごしました。門別の場合は、そもそもほぼ「オープンエア」の中での滞在なので、気をつけなければいけないのは、プレイヤーを含めて行き会う人々との距離だけきちんと保つこと。これも、常にとなると気持ちをずっと張っていなければ確保できません。

 よく考えたら、街中ではいま「感染者が何パーセント」みたいな指標で物事を図ろうとしていますが、競馬の現場で求められる防疫レベルは、感染者が出た時点で色んなことが全てアウト。世の中で考えられているよりも、余程厳しい防疫体制と意識で臨んでいるからこそ、いまこの「開催出来ている」という状況を守り続けられているのだということを、改めて肌で感じた一日でした。

 その日たまたま訪れただけの私でも、そのぐらいのことは感じるのですから…開催を守り続けている例えば騎手や調教師や厩務員などのプレイヤーの皆さま方、そして開催に直接携わる方々の尽力、そしてそれに伴う精神的なストレスに思いを致すと、これはもう胸が苦しくなるものがあります。いま、活動出来ていないひとびとのストレス、みたいなことが世の中で言われていますが、活動出来ていてそれを止めてはいけないことのストレスは、恐らくそれを何倍も上回るものなのではないかと慮らずにはいられません。そうした人々一人ひとりの表情と、そして言葉に触れ、改めて今の状況の「厳しさ」を再認識しました。

 

 あと感じたのは…やはり、体力は落ちてる。かつてだったら、一日競馬場で歩き回って取材を続けて、1日1万5千歩とか2万歩とかいうレベルで活動して、それがあたりまえでした。しかし今日は、1万歩にも及ばぬ活動レベルで、もう脚に来る感じでした。おまけに、歩き慣れてもいないからか、少し地面がうねっているところで足をくじいて捻挫。なまくらにもほどがあります…。こればかりは仕方ないので、活動するなら少しずつ、でしょうか。今日は案配がわからず、少し頑張りすぎました。

 

 取材自体は、プレイヤーの皆さま方のご協力を頂き、取れ高も多く順調に終了。本当に有り難い限り。いまだから、伝えなければいけないことがものすごくあると感じましたし、それを伝えることをやめるなら、もうこの仕事としての店は畳むべきだと。しばらく現地に出かけていなかったので、少しその方向に物事を思いすぎなのかも知れませんが…そこは、世の中の状況もよく見極めながら、あまり肩に力が入らないように、少しずつ、ですね。

 

 またこういう機会をきちんと作れるよう、それ以外の時間の過ごし方において、自分をきっちり律していこうと。そういうモチベーションにもなったかな。自分が感染していることが一番いけないことですし、その確率は努力で低く出来るということも、もうわかっているわけですから。

 明日からはまた、自室に籠城の生活。出来ることをしつつ数日過ごし、また「渾身の一日」へとつなげて行ければと思っています。感染防止の行動としても、自分の健康のための行動としても、ですね。

2020年5月13日 (水)

焦るよね…正直……

 一つ前の稿でビシッと書いてしまいましたが…私は、いまのところはまだ相当程度、いままでしてきたことへの「未練」にまみれていて、あれこれ思いを巡らせる物事もこれまでしてきたことの「延長線上」からなかなか離れきれないでいます。なので、自分はもうすでに「負け組」に入っているのかも知れませんが…もしかしたら世の中には、そういうふうに方向感のない、やるせない思いばかりが頭の中をぐるぐるとしている方も、相当数おられるのではないでしょうか。

 いま、緊急事態宣言を解除するかどうかという議論が、テレビでも喧伝されています。私なんかはまさにそうですが…焦りますよ、そういう話。自分だけ取り残されたらどうしようって、どうしたって思いますもの。ステイホームの影響もあり、世の中との繋がりが希薄になっていることもあって、周囲の状況を見回して安心するという、私のような弱い人間がよく使う手(苦笑)でも、何となく心の安らぎは得られない状況になっていますから。

 実は、いくつかの筋には少しアクセスしつつ、近い将来「出来ること」を探ろうとしています。しかし、私のしようとしていることがそこまで価値を訴求出来ていないのか、あるいは周囲のエネルギーがもうなくなりすぎているのか、いずれにしてもなかなか「動いていく」という流れを創り出しづらいなという印象。やはり、それがまさにいまの「世の中の状況」なのかも知れません。何せ、いまたまたま形式的には同じように活動出来ているひとびとであっても、「先々どうなるんだ!?」という思いしかない状況で時が流れているのでしょうから。

 なかなか、大胆に自分自身を「変容」させる術というのも、簡単には見つかりませんしね。私自身は「とりあえず現状ゼロじゃないから(笑)」という感じで、元々していたことにもうしばらくすがってみようかと思っています。

 飲食店で苦労されている方々が、「少しでも足しになれば」という感じでテイクアウト始めるのと、同じようなことなのかな、これって。

 明日は「3密」を避け、ひととの接触も最小限にしつつ出かけてみることにします。「少しでも足しになれば」も、きちんと続けていけないと本当になくなってしまいますので。楽しみというより緊張感しかありませんが…周囲に迷惑をかけないようその緊張感を保って、一日過ごします。

2020年5月11日 (月)

「未練」と「挑戦」のせめぎ合い

 頂戴している執筆関係の仕事のおかげで、毎日「やるべきこと」がゼロではないという、いまの状況の中では大変有り難い日々を送っております。持続化給付金も頂戴して、何ヶ月かは節約すれば生きていけるめども立ちましたので、ときどき「このまま生きて行ければいいのに」というとんでもない勘違い(笑)が頭をよぎることもあるのですが、今のところはすぐに思い直して先々のことをも考える日々。

 日によって繁閑の差は結構あって、パソコンに向かって半日以上終わる、という日もあれば、僅かな時間パソコンに向かってあとは仕事以外のこと、というメリハリをつけることも出来る状況は結構良くて、適度に気を紛らわせながら、そして微かに「貢献」の実感も味わいながら暮らしております。今日は、そんな時の流れの中での「谷間」の方の一日。部屋の中の掃除をしたり、超久しぶりに車を出して食料品や生活雑貨の買い物に出かけたりと、少し気を楽にして過ごすことが出来ました。

 

 時間があるので、テレビをつけて世の中の様子も気にかけたりしてみれば…相変わらず世の中は方向が定まらない感じ。例えば韓国で、規制を緩くしたところたちまち集団感染が発生したり、或いは街中にマスクもせずに密集してくつろぐ都市市民の様子が伝えられたりするのを目にすれば、人間というのはつくづく「学べない」生き物なのだなと実感します。

 日本でも、大型連休が終われば早くもマスクをせずにあちらこちらに出歩いたり、大混雑の中を会社に出勤してみたり、店にこれまで同様多くの客を迎え入れたりと、「元の木阿弥」という言葉が簡単に頭の中に思い浮かぶような光景が次々と報じられています。わざわざそのさまを取材に行くメディアも、そしてメディアの取材に顔出しNGで応えるひとびとも、それはそれでいかがなものかと思うのですが(笑)、取材を受けたひとびとの「店を開けないと生活出来ない」とか「マスクが苦しい」とか「自粛でストレス」という判で押したような言葉に触れ、日本も方向感が出てくるまでにはまだ相当時間がかかるな、という思いを改めて強くしました。

 

 いま、「マスクしろ」「外出するな」「店閉めろ」という社会的な動きが、「同調圧力」という実にわかりやすい言葉で表現され始めました。人々が寄り集まって生きる「社会」の中に、一定の強さと方向性を持った「同調圧力」があるのは当たり前。そうでなければ、感じ方も考え方も異なるひとびとが集まって生きていくことが出来ませんから。いまはまだ「コロナ前の日常」の支持者が多く、そのかつての日常をまげて生きようとする勢力が小さいと言うことなのでしょう。

 簡単に言えば、「コロナ前の日常」への未練が、いまは世の中で優勢ということ。これはどうやら、日本に限ったことではないようです。

 「コロナ前の日常」への未練が捨てられない勢力と、「コロナの時代の新たな日常」へ踏み出す勢力がせめぎ合う中で、コロナは何度も流行を繰り返し、残念ながらその間に命を落とす犠牲者も出しながら、方向性が出てくるのはこれからなのでしょう。

 それまでは、この両者の「対立」は続くでしょうね。コロナの流行が続けば、店によっては「マスクをしない人はお断り」ってなったり、もっと進めば「あたら出歩いたり、マスクしないひとは、街から出て行け」ってなるかも知れない。それでも「未練」が生き残っていけるのかどうか…。私は、かつての日常の「持続継続」に懐疑的であり悲観的なので、このあたりまでは想像力を豊かにしています。

 

 大切なのは、そんな価値観のせめぎ合いの中で、コロナによっても経済的な事情によっても「死なない」こと。そしてそれを決めるのは、個々の人々それぞれの行動…。

 さて皆さんは、これからの日常を探るために、いまをどんなふうに生きていきますか?

2020年5月10日 (日)

言葉が こころのなかに 染みこむ

 仕事がなくなり、もっと日々色んなこと、いままでしたかったけど出来なかったことをしながらしばらく過ごしていくつもりでした。しかし…なんだか思い描いたほど色んなことを手がけられてなく、片付いておらず、体がかなり健康になった(笑)以外はまだこれと言って「長い休み」の恩恵をそこまで感じられていない現状です。

 有り難いことに、周囲の方のお志で執筆の仕事を頂戴して、それをいつも以上に丁寧にやらせて頂いているということもあるかも知れません。勿論、寝てる時間は相当増えています。しかしそれにしても…という象徴で、いま自室で存在感を増しているのが、1ヶ月間「積ん読」になったまま部屋の片隅に放置されてきた、本。分厚い経済関係の新書本から、小説の文庫版まで、全部で7冊。「どうせ暇になるからこの機会に是非とも」と思って買いそろえてあったのに、全く手つかずのまま時間が過ぎてしまっていました。

 昨日、ようやくそのうちの一冊の消化に着手。半日かけて文庫版の小説を一冊完読することが出来ました。

 本を読むこと自体が、どうだろう…半年ぶりとか、もっと長い久しぶりだろうか。昨日は読んでいて、まず1ページずつ繰っていく感覚が新鮮で、読んでいく言葉がアタマに染みこむ感じが爽快で、何も物音のしない自室でじっとその本と向き合いっている時間の過ぎ方が、実に心地よく感じられました。作品自体が良かったということも勿論あるでしょう。本屋で直感で選んだだけなのですが、本との出会いって、そんなものですよね。

 さあ、次はどれを読むかな。これで少し、「読書熱」も勢いづくと思います。

 

 島本理生『ファーストラヴ』

 ひとりひとり、様々な物事をまとい背負って、いまがある
 そして生きていくこれから…
 時の流れの中の「生」。そして、これからを生きていくための、過去。
 改めて、「生きていく」ということに思いを致す機会をもらえた作品でした。

2020年5月 8日 (金)

有り難いけど 喜んでる場合でも……

 またお金の話で恐縮なのですが…

 もう振り込まれちゃいました、持続化給付金。「最も早くて8日から」という「最も早くて」に、私なんかが該当してしまうとは、嬉しいよりも申し訳ない気持ちで一杯です。せっかく頂けたので、このお金でどれだけ持続出来るかのチャレンジをしつつ、仕事を頑張っていきます。

 こうして(一応うちは零細企業なので)200万円が銀行口座に振り込まれてみると、なんとも言えない気持ちになります。この200万円、何人の人がもらうことになってて、全部でいくらになるのか。そして、そのお金はどこから出てきているのか。色んな所の論評や個人の意見を参照すると、大型連休が終わって少しずつみんな冷静になってきているのか、もらえるもらえないで平等不平等とか、給付施策に対してそれは本当に必要なのかなどといった議論が少しずつ出てきました。それは至極まっとうな話で、お金…というか「富」がどこかから降って湧いて出てくるわけではないということ。いま、国が配って使うお金は、いずれどこかで取り返さなきゃいけません。要するに、将来の「富」を先食いしてるだけ。給付金という名の、これは借金。どこの国でも同じですが…大盤振る舞いのあとに、いずれ必ず大増税の時代がやってきます。そのときに誰がどういう風にそれを支えるのかということも、そろそろ考えて話し始める時期なのかも知れません。

 そんな時代が来たときに、きちんと働けていて税金納めて、貢献しないといけない。そう考えると、今日もらったお金も、有り難さと苦しさが背中合わせの200万円。

 

 そもそも…「コロナの時代の新たな日常」が、いま私も含めてみんながしていることの「持続」を認めてくれるかどうかはわからないですよ。いま、営業自粛は政府に言われてやっているのだから、という方便で、色んな所にお金を配らなきゃいけなくなっています。でも、それが新たな「日常」になるなら、いつまでもお金を配るわけにはいきません。「日常」なのだから。

 もうそろそろ、経済対策の「出口戦略」も考えられないといけません。それは、政府とか行政の誰か少数の「えらいひと」だけで議論させてはダメだし、それは無理。なぜなら、どこかの段階では「どういう仕事は生きて、どういう仕事は死ぬべし」という「トリアージ」が必ず必要になってくるから。そのとき、「仕事死ぬべし」のひとびとを本当に殺さずに救うのは何か。それは、お上から降ってくるような「恩義」ではなく、その社会全体に広がるべき「仁愛」であるはずだと、私は信じています。

 

 多くの国で多くのひとびとが「連対が必要」と言っているのは、恐らくそういう意味なのではないでしょうか。私も全く同感です。そんな社会の中での「思いやり」をみんなで共有出来るときに、物事の「出口」が見えてくる。

 まだまだだね。そこまで行くには。
 みんなで頑張って行きましょう!

2020年5月 7日 (木)

簡単 かつスムーズでした

 夕方、ふと思い立って調べてみると、あの「ひとり10万円」っていう「特別定額給付金」の申請が、私が住民票を置く場所でも始まっていました。恐らくそうなるだろうと予測し、3月に札幌の居室に移ってきたときにマイナンバー個人カードも持ってきていましたので、早速オンラインでの申請に挑戦してみました。

 結論から言うと、実に簡単。アプリのインストールから情報の入力、そして手続きの終了まで、ゆっくり確認しながらやっても15分まではかからなかったでしょうか。持続化給付金とは違い、こちらの申請はきちんと申請用紙の「控」が登録したメールアドレスに届いたので、間違いなく申請されているという確認と安心も出来ました。

 あとは、いつお金が手に入るか、ですよね(笑)。まあ、個人への10万円という金額は、中小企業への持続化給付金とは違って、少なくはないけれどいまそれにより「即生き死にが決まる」という金額でもないので、あまり期待せずに待つことにします。状況的には勿論、あれば大助かり、ですけれどもね。

 

 丁度今日のニュースで、マイナンバー個人カードの暗証番号や認証用パスワードがわからなくなったという問い合わせで、役場が猛烈に混雑したという話題を取り上げていました。私も、カードを作ってはあっても「多分これだよね」という番号とパスワードをうろ覚えの中で入れてみたところ、見事ヒット(笑)、っていう感じでした。役場に出かけて苦労はしても、その先に10万円、と思えば、4時間の待ち時間も耐えられるということなんでしょうか…。

 私の場合、ツイていたのは、個人カードの電子証明書の有効期限切れまであとわずか1ヶ月半だったこと。事態が少し後にズレていたら、窓口に行って電子証明書の更新手続きが必要になっていたので、在宅でのオンライン申請は出来ませんでした。個人カードの配布が始まってから丁度5年目に入っており、早い段階でカードを作った方の中には、もしかしたら誕生日(が期限の区切り)によって残念ながらこの電子証明書の有効期限切れでアウト、という方もおられるかも知れません。

 

 ICカードになっている個人カードの読み取りには、おサイフケータイの機能がついているスマートフォンを使います。パソコンに繋ぐカードリーダーがないとダメだと思っていたので、これにはビックリ。決済系でQRコードがトレンドになる中、明らかに斜陽を迎えていたおサイフケータイなのですが、こんなところでこんな役に立ち方をするとは思いませんでした。そもそもおサイフケータイでカードが読み取れるっていうことを知らなかった。スマートフォンがこんなことに使えるのであれば、他の事柄であってももっと使い勝手が広がりそうなものなのですが…どうなんでしょうか?

 もうひとつ。役場の手続きの中で、この個人カードを使って出来るものって、結構あるんですね。ザッと見たら、子育て系の給付金の申請とかのメニューがあって、私は一人で生活しているので関係ないけれど、もしかしたらもう結構利用している方もおられたんでしょうか。

 

 それにしても、知られてなかったよね…マイナンバーカード(苦笑)。

 激しく実施に抗う勢力がいる(いた)のも一つの原因なのでしょうが、私は個人情報の保護はすでに諦めているので、こういう便利な物事はもっと進むべきと思う派。今回のことで再評価が進むのであれば、それはそれでこの大変な状況を代償としつつも一つの「気づき」が世の中に広がるということなのではないでしょうか。少なくとも、役場で行列作らなくても良いということになれば、これは「コロナの時代の新たな日常」にはマッチしているように思えます。

2020年5月 6日 (水)

衝動買いで揃っていく機材たち

 まだ仕事のオファーとか、1件も頂いていませんが…このご時世に、零細企業としてはあるまじき(笑)、万単位の設備投資をしてしまいました。ネット経由のライブ放送に使う、ミキサー。マイクや楽器や、その他からの音を調節しながら一つにまとめて出すっていう、そういう役割の機材。DJなんかがターンテーブル(はもういまあまり使わないのかな?)の横でボリュームみたいなつまみがたくさん並んだ機材をいじっているのを、イメージ出来る方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

 たまたま、注文内容についてお店の担当者の方と電話で話をする機会に恵まれ、色々教えてもらいました。要するに、いま結構品薄だと。なぜこのようなものが品薄?と訪ねると、どうやらまさにこのご時世だからこそ、始める人が増えているみたいです。YouTuberとして、ネット動画の世界にデビュー。それで、特に楽器の演奏なんかをやりたい人が、買い求めているみたいなんですね。

 私自身は、別にいまから個人的にYouTuberになろうというつもりは毛頭なくて(笑)、仕事でインターネット放送のライブ中継の制作を行っている中で、ミキサーは以前からあったらいいなと思っていた物件でした。パソコンに、色んな種類の音源繋いで流すのは、限界がありますので。3月に帯広競馬場でやらせて頂いたライブ中継の時は、ケーブルをいちいち差し替えながらやっていたのですから、いまから思うと自分でも驚き。ミキサーがあれば、それも少ない人手でスムーズに出来るようになるはずです。音に関することも、従来していなかったようなことも出来るような気がしてきているので、いまから使うのが楽しみです。

 

 そんな風に、最低限の機材から、手作業でやっていた部分に少しずつ便利な機材を投入して、少しずつ進化させてきているのが私のライブ中継放送。前進する都度「その手作業は、丁度いい便利な機材があって代替出来る」という物件に出会い、様々な機材が徐々に買いそろえられてきました。気がつけば、多分結構な投資金額で、「こぢんまりとやるにはそれなりの」ことが出来るところまで揃ってきたような気がします。こういう所は、仕事として楽しい部分ですね。やっているうちに、出来ることが少しずつでも進化していくという、面白み。またこれで何が出来るかなと考える、楽しみ。これが想像力と発想力の源泉なんじゃないかなと。

 

 とはいえ、今のところ世間の状況として、仕事に戻れるメドは全然立っていないかな…。まだ全体的に混乱のるつぼの中にあり、走っている事柄も「とりあえず出来るからそのままやってる」みたいなことの方が多いようですから。やれることをきちんと企画してやらせてもらう、っていう流れは、まだ難しいのかな…。

 巷で、ネット放送をやりたいけれど機材がないとか、やり方がわからないとか、そういう声には前広に、しかもこれまで同様低予算でお応えして行ければと思っています。

 ま、まずは機材のテストを兼ねて、自分でやってみますか?(笑)

 みんなやってますし、そろそろ…。

2020年5月 4日 (月)

「コロナの時代の新たな日常」は 結構残酷

 昨日の午前に買い物に出かけてから、今日の夜まで全く外出せず。少しでも外出人数と密度の抑制に貢献しているつもりです。のんきに外出している人たちのことが恨めしいかというと意外とそうでもないのは、基本的に引きこもりが向いている性質だからなのかも知れません(苦笑)。あとは、お子さんがおられる家庭とかは、さすがにたまに外に出してあげないとかわいそう、というのも心情的にはわかるので。私のように、仕事以外に外出する差し迫った必要性がない者は室内に引きこもり、外出する必要性があるひとたちにその「枠」を譲る、みたいな感覚になってきました。どうしても我慢出来ないとかいうひとも、私の「外出枠」をあげるからどうぞと(笑)。

 依然、この状況で「食べていける」感じは全くありませんが、やるべきことは有り難いことにそれなりに頂戴しているので、それで時間をきちんと使っている、という感じですね。なにより、睡眠たっぷり、食事もきっちり、おなかがすかないので余計なおやつもそれほど食べないという生活なので、体重もじわじわと減ってきて、体の方はすこぶる健康そのもの、元気いっぱいです(笑)。

 

 今日発表された緊急事態宣言の延長も、みんな織り込み済み、ですよね。使命感もあるのか、当局が相変わらずの「伝わらない」演説をやってみせるのには、もうさすがに辟易としてきました。ただ今日は、まやかしにあふれた演説の中にたったひとつだけ、しかし「ようやく出たか」という珠玉の一言が出ました。それが、この稿のタイトルの言葉。

 相変わらずそれをごまかし加減で言うので、あまねく世間に伝わっているのかどうかはわかりませんが、この言葉、いま国民一人ひとりが考えなければならないことを、ものすごく端的に言い表していると思います。なにがいいって、ひとびとがまだおぼろげに期待を捨ててはいなかった「元の生活に戻りたい」ということが、かなり長い間不可能だということを、きちんと宣言したこと。いままでにない率直さが、この一言の中に凝縮されていると思います。言い方が曖昧模糊としているので、そう伝わってないかも知れないけれど。

 

 説明書きとして、いくつかの具体的な「指針」なるものも明らかにされました。ひとつひとつ声に出して読んで、自分がいままで生業としていることがその中で成り立つか、ということを考えてみるといいと思います。私は、殆ど成り立ちません。だからこの言葉はほぼ「死亡宣告」に近い。私は、ほぼそう思っていたので、別に驚きません。でも世の中には、まだなにがしかの「望み」を捨てきれずに、ただ言われるままに自粛生活を送っている人も多いのではないでしょうか。

 

 「救済策」なるものも、ここからは方向転換した方がいいよね。

 もう「持続」はしないから、結構いろんなことが。それが「コロナの時代の新たな日常」の、残酷なところ。いろんなことが成り立ち得ない、ということを、まずみんなで認めること。いつまでもテレビのインタビューに答えて「ストレスが」とか「自粛会場の基準を示せ」とか、詮無いことを言っている場合じゃないです。

 

 珍しく、当局が「いいこと」を言ったのだから。

 それを噛みしめ、理解し、そして行動する。

 私はそうして、コロナ後の時代の新たな日常もしっかりと生きていきたいです。

2020年5月 3日 (日)

「立場」の違いが呼ぶ行動変容の「分断」

 北海道と札幌市当局の求めに応じて…というよりも、自分が感染リスクを冒して健康を害したり、害するのを助長するのが単純に嫌だったという理由で、「都市封鎖に相当する」外出の抑制で結果的に木曜日の昼前からずっと自宅に籠もっておりました。いま午前中のうちにドラッグストアに出かけ、乏しくなった食料や水の買い出し。「25年選手」という小さいながらもベテランの炊飯器を中心としたプチ自炊生活もだんだん板についてきて、少し変わったものも食べたいなと店内を物色。また3日ぐらいは外出しなくても大丈夫な位の買い出しをして態勢を整えました。調味料を少し買ってみたので、若干味の面で「彩り」が加わると思います(笑)。

 聞けば、すぐそばの豊平川の川べりでは昨日、大勢の人々が出てバーベキューを行っていたとのこと。何も考えていないのか、それともそれぞれの人たちなりに「距離を取ったりマスクをしたりしながら、やれることはやらないといけない」と熟慮した結果なのか、それは知るよしもありません。ひとびとそれぞれに「考え方」があってそれを尊重する必要があるのも「民主主義」というものでしょうから…まあなんとも言えませんね。ただいずれにしても、そういうことが続いているようだと、札幌でのいまの状況はまだ当分続くのではないかと、私は少々がっかりしています。

 

 私の場合、外出しない理由の第一は、自分が病気にならないということ。まあこれが一番大切なのはいうまでもないのですが、その下にあと二つぐらいの理由があります。

 ひとつ目は、世間の状況がこのままだと、少なくともいままでやっていた仕事で稼いで生きていける道筋が、全く現れてこないから。とりあえず、目に見える「感染者数」と病院の状況が何とかならないと、それでなくても半年とか1年とかいうスパンでダメなんじゃないかという現状が、何も変わらない。なので、当局が主張する「外に出ない」を実践するようにしています。

 もうひとつは、外にうろうろしている人は、いざというときに「感染リスクが高い人」と認定されて、仕事で使ってもらえなくなる可能性もある。この点、私も含めフリーランスとか非正規雇用とかの人たちは、「世間の見た目」もすごく重要になってくる。いちいち「起用」とか「採用」という「人為」にさらされないといけませんから。逆の立場なら、要するに「気をつけていない人」は、私が採用担当者とかプロデューサーとかでも、使えない。周囲に対する責任もありますから。今時の状況の性質を考えると、こういうことは恐らく1年とか2年とかじゃなく、もっと相当長い間続くんじゃないかと思っています。

 恐らく…いま外出出来ている人は、そういうストレスがない人たちなんじゃないかと思います。それなりの会社の正社員で、連日出勤やテレワークで収入も確保されていて、いまのところ立場がそれほど揺らいでいない人たちとか、ですね。今時の状況によって生業が危機的状況になっている人が、「ストレスが」とかいう言い訳して外出するわけがないですから。少しでも感染者が減って「原状」に近づいていかないと、自分の首に巻かれたロープが時々刻々と締められていく、ということを日々実感しているわけですから。

 

 こうした「立場の違い」は、いま当局がよく言う個々の「行動変容」のありように大きな影響を与えているような気がします。そしてその「立場の違い」は、いまのところどんどん離れていって、もうじき経済的社会的「格差」として現実のものとなる。いままでの社会で現れていた「貧富」を中心とした立場の違いとは全く違う切り口で起きているので、まだ理解も進んでいないし、その対処としての経済対策も的はずれ。どこかでもっと大きなコンフリクトが生まれてくるような気がしてなりません。

 いつまで経っても、保証がどうとか、出口を示せとか、無理かまたはいずれ無理になることばかり叫ばれて、この国が全然一体になっていかないのは、恐らくこういう理由なのではないでしょうか。いま行われている「一部自粛」の戦略は、よく言われる言葉を使えばより一層の「社会の分断」を招いているのだとすれば、見出すべきは単に「緊急事態」なるものからの出口なぞではなく、そうしたこの国の社会自体の崩壊の危機に一人ひとりがどう取り組むか、なのではないでしょうか。

 

 あるひとがこう言いました。

「コロナウイルスは、非常に平等。偉い人も貧しい人も、有名人も一般人も、平等に罹患する」

 これはある意味、このウイルスの問題に対峙していくための、とても大きな指針を示したものではないかと、私は思っています。

2020年5月 1日 (金)

その先にあるのは、持続?それとも…

 件の持続化給付金の、ネット経由での申請が今日からということで、私も朝から挑戦してみました。ログイン段階で進むことが出来なくなり、「やっぱりな…」という感じ。ただ、結論を言うと夕方にはあっさりと申請を受け付けてもらうことが出来て、なんだかすごく拍子抜けでした。サーバーも混んでいたのでしょうが、それよりも、「サイト上の説明に書いてないいくつかのこと」をクリアすれば、ログインも入力も簡単にできたみたいで、実際そのいくつかの問題点の解決方法をネット上で探し当てたあとは、本当にわかりやすく申請することが出来ました。

 この給付金の条件にもなっていますので、頂くお金でいましていることを可能な限り「持続」出来るよう、頑張って行ければと思っています。

 

 ただ…みんなもううすうす気づいてるんですけど……自分がやっていることって、そもそも「持続」するのか?という問題。これはもう、今から考えても決して早すぎることはないような気がします。

 テレビを見ていたら、たまたま私の同業者と言える「イベント企画の仕事」って言うひとがインタビューを受けていました。曰く、「イベント自粛の状況が解消しないことには」と。しかし、「コロナ後の世界」で、ひとびとが集まりイベント的なことが出来るという保証はは、どこにもありません。むしろ甚だ怪しい感じじゃないでしょうか。1年とか1年半経って、ワクチンが開発されて、更に何年か経ってそれが行き渡って、それでどうか、ぐらいのスパンの話でしょうか?

 お店や観光関係もしかり、ですよね。例えば私がいまいる札幌でこれまで流行っていた物事のうち、外国からの観光客なしで成り立つ商売は、果たしてどのぐらいあるのか。外国との行き来なんて…いつになるかわからないほど遙か先の話ですよね。
 事ほどさように、かつてしていたことを「続けよう」とすることに価値がないとは言わないけれど、「コロナ後の世界」では、かつてしていたことが「価値がない」世界になっている可能性は、結構多くのひとびとに課せられる「次の試練」になるんじゃないかと。いま、結構ヒマな時間に思いを巡らせると、そんなことにも思い及ぶようになっています。

 いまはみんなで、「とにかく感染拡大を阻止する」という、いわば「第一の課題」に取り組んでいるところ。それがいつ終わるかもまだハッキリしませんが、その後に続く第二第三の課題は、いま自粛でみんなが音を上げそうになっている位の苦しさを遙かに凌駕する、えげつない困難なんじゃないかと思っています。「行動変容」どころじゃなくて、生きていくためにあらゆる営みを変容させなければいけない世界が来ても、驚かない。そのぐらいの気の持ちようで丁度いいのではないかなと。

 

 翻って、競馬。いま開催してくれているから有り難い。でも仮にレースは続けられたとしても、このまま相当長い間無観客かも知れませんよね。もしかしたら、コロナ後の世界では「そもそも競馬は無観客でやるもの」になっているかも知れません。そのときに、私が競馬という物事に携わり続ける方法があるのかどうか。ないとして、どうやってあと50年生きていくことになるんだろうなと。そういうことは、今から考えながら生きていくべきことなのだろうなと、本気で考えています。

 まあ、そうはいっても…明日になれば来週の門別の出馬が出て、予想したりその他の仕事はちゃんとあって、忙しくパソコンを叩かなければいけない時間が、まだ私には残されている。それだけでは生きていけないところがなかなか苦しいところではあるのですが…目の前にある「役割」は、しっかりと受け止めながらやらせて頂き、その傍らで考える。幸い、そのための時間はあるわけですから。

 

 まだ、始まったばかり、ですね。

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